嗚呼げえむ人生 ↓動画を作るとゲームする時間が減ることに気付いて更新停止中

スーファミのことをファミコンと呼ぶな

と思っているのは、自分だけではないはず。

とはいえ、今ではほとんどの人が実機で触ることもないハードなので、若い世代が混合しても致し方ないのではないかと思う。なにしろファミコンの正式名称は「ファミリーコンピュータ」(タの後の伸ばし棒はいらない)、スーファミは「スーパーファミコン」と前の機体の略称が正式名称になっているからである。普通に文字だけで見ればファミコンと言われればスーファミを思い浮かべても仕方ない。ただ名称こそ繋がりはあるが、前のソフトさえ持っていればそのまま遊べるわけでもなく、共通で使えるコントローラーやガジェット等もない。接続方法さえ違うのでファミコンとスーファミは全く別ものなのである。


余談だがファミコンは以下のような「RFスイッチ」を使って、テレビと接続していた。

当時はまだ赤白黄色の端子(AV接続)は付いてなく、むき出しの針金を端子に噛ませることでチャンネルの一部(だいたい2chでたまに1ch)をゲーム画面にすることができる。ビデオ…という言葉もなかったので専用のチャンネルも後に追加されることになるのである。

そんな出だしから鼻息荒くした今回はスーファミの思い出を振り返る予定ではあるのだが、私個人で遊んだものは「スーパーボンバーマン」と「スーパードンキーコング」ぐらいの少数であり、実際のほとんどが友人の家で遊んだものになる。

特に「がんばれゴエモン3 獅子重禄兵衛のからくり卍固め」はRPG要素が強く、ほぼ毎日友人の家へ押しかけつつ一緒に攻略した記憶がある。ゴエモンシリーズは基本的に二人プレイで操作もできるため、あーでもないこーでもないと言いながら遊んだのは良い思い出である。

ちなみにこのゲームで暗号に使われた【泣きっ面に蜂】ということわざ、当時は言葉自体を知らなかった為かなり苦労した。(総当りして結局意味は後から知った)しかし、現実世界の知識がゲームにも活かせるという事実に衝撃を受けたのも、この作品が初めてだった。このあと、ことわざにハマったのは言うまでもない。

この他にも、「ときめきメモリアル」も友人がプレイしているのを見て衝撃を受けたり、借りた「聖剣伝説2」をすべてレベルMAXにして返したり、泊まりにいった親戚の家でひたすら「ファイナルファンタジーⅥ」だけをプレイして1週間でクリアしたりしたのも良い思い出だ。

やはりこの時は小学生も高学年で、文字もだいぶ読めるようになり、システムやシナリオを理解できるようになったことで色々と初めて感じたことも多かったように思う。

これも友人の家でプレイしていたのだが、「天外魔境ZERO」も衝撃だった。ROM内に時計が組み込まれていて実際の時間によってマップや町の様子、人のセリフ等が変わるというシステムを初めて目にしたのはこの作品だろう。

いま思えば不思議な感覚だが、当時は人の家でRPGをプレイさせてもらっていた。もちろん持ち主が先にプレイしているのだが、それを眺めつつ自分でもやはりプレイしたいので別データで遊ばせてもらっていた。これは今でいうところの実況プレイを友人は見て楽しんでいた…ということだろうか。まぁ、だいたい漫画読んでたりするのでそんな熱心に人のプレイ見たりはしないのだが、たまに助言をくれたりしてニヤニヤしてたような気がする。

プレイ時期は小学3年~中学2年生くらいなので、ファミコンよりは短い。この間にも伝説的ゲームの発売もされているので、そのプレイ時間はさらに削られることに…次回はそのゲームと共に、特に遊んだソフトを中心にプレイ履歴を遡っていきたいと思う。

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