嗚呼げえむ人生 ↓動画を作るとゲームする時間が減ることに気付いて更新停止中

はじめてのアーケードゲーム~現在まで

家で初めて触ったゲームは紹介したが、外で初めて触れたゲームは近所のスーパー3階にイベントフロアがあり、そこにポツンと置かれていた「ファンタジーゾーン」だった。スーパーにしては広すぎるデッドスペースであり、そこに置かれていた2台だけのゲーム機は異彩を放っていた。しかし近所にゲームセンターも無いので、10円玉を握りしめて何度も通って遊んだものだ。

ちなみに隣には「ジャンケンマン」が置いてあり、こちらも10円玉をメダルに変えるためによく利用していた。本来はできないのかもしれないが、このメダルを使って隣にあるファンタジーゾーンをプレイすることができたのだ。そのうち判定が甘くなってきたのか、勢いよくコインを入れるとコインは戻ってくるのだが、入れた判定だけ残って無料でプレイできる状態になっていた。しばらくは修理されることもなく放置されていたのだが、気付いた時にはひっそりと消えてしまっていた。

そうして近くにゲームで遊べる場所が無くなると、少し遠い場所(といっても小学校の側)の住宅街の真ん中にある駄菓子屋が次のゲームスポットになった。そこには定番の「メタルスラッグ」を始め「スーパーパン」「大工の源さん」「コラムス」などのゲーム機が並んでいたのだ。この駄菓子屋は模型も売っていて、店の奥には壁一面の模型(プラモデル)と共にミニ四駆のコースが置かれていたので、実はそちらの方がよく利用させてもらっていた。コースはオーソドックスな↓の形。

いま思えば、外にはアーケードゲーム、入り口にはお菓子やアイス、ジュース、レジ横にはクジやカード類、そして奥に行くとプラモデルとミニ四駆まであるという夢のような空間である。それがせいぜい12畳そこらのスペースに収まっているという狭さだ。写真のひとつでも撮っておきたかったが、こちらも気付いた時には店仕舞いをしていて久しぶりに近くを通ったら普通の住宅になっていた。いま思えば自分たちの世代はギリギリミニ四駆で遊んでいたが、ファミコンやゲームボーイの登場で世代は変わっていき、小学校高学年の頃にはスーパーファミコンが発売し、ハイパーヨーヨーやビーダマンが流行っていたように思う。模型が主だったこの店はだんだん人が減っていってしまったのかもしれない…

そうして駄菓子屋に行くのも結構な距離だったのもあり足が遠のいていた最中、近所にできたおもちゃ屋「ぴーこっく」の存在が私の遊び場に大きな変化をもたらした。

今まで家の側にある薬局の軒先にあるカードダスが主なおもちゃ売り場?だったのが、カードダスの数も種類も段違いなおもちゃ屋ができたので近所の子供たちはこぞってここに入り浸るようになった。そして開店してそうそう行列ができたのが「ストリートファイターⅡ」のアーケード筐体である。コマンド入力がよく分からなかった当時の自分は、連打で技が出せる春麗やブランカ、エドモンド本田をよく使っていた記憶がある。始めこそ行列ができていたストツーだったが、そこは田舎ということもありいつしか人は減り、気付いたら店員が下のパネルを開いてお金を入れずに遊んでいるのをよく目撃するようになった。それが理由かは分からないが、気付いたらアーケード筐体はすべて無くなり、そのスペースには新たなおもちゃが置かれるようになっていた。それ以降はビデオゲームコーナーの試遊台で遊ぶようになる。そこで初めて触れたメガドライブの「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」「ゴーストバスターズ」は映像が綺麗で、バーチャルボーイの「マリオテニス」は真っ赤な画面で立体(ホログラム?)のように見える感覚が不思議で特に印象に残っている。

このおもちゃ屋も近所の悪ガキには手を焼いていたようで、一番ひどいと思った事件は店先にあるカードダス(4台連結したやつ)をまるごと店の裏側に持っていき、おそらく中身を抜いた状態で放置したであろう筐体が川(正しくは大きめの下水溝)に捨てられていたのを目撃した時である。普通に犯罪であるが、子供が大勢いて恐らく共犯者も多数いて犯人の特定が難しかったのか恐らく泣き寝入りしたのではなかろうかと思う…と書いていて、いま薄っすらと思い出したのだが、実際のその現場にいた気もする。というのも特に手伝ったりした訳ではなく、中身を取ろうとしていた訳でもなく、ただ面白そうだからと筐体を外に捨てて楽しんでいただけ…だったような気がしてきた。悪いことをしてスリルを楽しむ風潮がたしかにあったのだ。つまり手こそ出していないが私も犯人の一人のようだ。その数年後に店は無くなってしまったが、子供の頃のこととはいえ本当に申し訳ないことをしたと思う。マジでこういうエピソードは多いので地域が悪かったというか…善悪の区別があまりついていなかったように思う。なので子供をもつ親や子育てをすることに対して、すごく大変だと改めて思った次第である。

余談だが小学生当時、木の机に彫刻刀で溝を掘り、そこにマジックを塗る墨入れが流行っていた。だいたい怒られるのが分かっているので端の方に小さく入れるのが定番だったが、私は何を思ったのか机全体にアシタカの絵を書いて、その線に沿って溝を掘り、机全体に墨入れしたのだ。当然授業中など先生に注意されたが、ただの落書きと思っていたようで「あとで消しときまーす」と言ったまま卒業したのだ。

↑当時のこのパンフを見ながら、そのまま模写した。

これは後になって知ったのだが、これが下級生の間に語り継がれ伝説となっていたらしい。もちろんアシタカを消したところで全体に溝が掘ってあるので、その机でテストを受けようものなら破れること間違いないであろう悪行である。たぶん処分されているとは思うが、後先考えないのはこの時から変わっていない。

実際に私が住んでいた地域の治安は悪かったのだろう。小学校も中学校も1000人以上集まるような学校で色々と黒い噂は絶えなかった。当然ゲームセンターも不良と呼ばれる人たちのたまり場になっていたので、かしこいやつ、利口なやつはまず近付かない場所であった。なので力の弱い低学年はおもちゃ屋や駄菓子屋に集まって遊んでいたのだ。ただ中学生にもなると第二成長期で力もついてきて、また私の場合は学校も行かず遊び回っていたのでゲーセンにも顔を出していた。タバコの臭いは元々好きだったので、難なくゲーセンに入ることはできるのだが、やはり上級生に目を付けられるのは避けながらだったので、本当にたまに行くくらいの頻度だ。そこでプレイしていたのが「キング・オブ・ファイターズ94」や「対戦ホットギミック」などの脱衣系のゲームである。KOF94は女性キャラがやられる際に服が破ける演出があり、それを見るためにプレイしていた。また対戦ホットギミックなどの麻雀のルールは小さい頃から正月、親戚が集まる席でよくやっているのを見かけ、代打ちもしていたので知っていた。また10円玉を握りしめて通う日々が始まったのである。この年齢で脱衣麻雀をやっていて不思議に思うかもしれないが、この頃はテレビのバラエティ番組でおっぱいも出ていたし、深夜になれば大人のお店の特集などもやっていた。アニメでもらんま1/2とか普通に上半身裸でも許される時代だったのだから、ゲーセンくらいで咎める人もいなかったのだ。

しかし通う…といっても一度クリアしてしまえば、またやろうとも思わなかったので通った期間は案外少ない。

このあとは高校生になり「アヴァロンの鍵」というカードゲームにハマるのだが、当然そんなにお金もないし学校で勉強も頑張っていたので、せいぜい数万円のそこそこやっていた…程度のものである。


それから東京へ行き専門学校に通うようになってからは前の記事でも書いたが「アイドルマスター」と「三国志大戦」にどっぷりハマっていった。(↓この間、博多駅のバスターミナルに行ったら、アイマスオフィシャルショップで未だに遊べる筐体が置いてあった)

そうして社会人になってからも「ストリートファイターⅣ」や「鉄拳6」「バーチャファイター5」などの格闘ゲーム、「三国志大戦 Ver1~3」「機動戦士ガンダム 0079 カードビルダー」「ロード オブ ヴァーミリオン」などのカードゲーム、「セガNET麻雀 MJ」「麻雀格闘倶楽部」などの麻雀ゲーム等々を暇を見つけては遊んでいた。もちろん仕事の参考にと、ゲームショーやAOUショー(ジャパン アミューズメント エキスポ )にも行くようになったのである。↓が当時撮った写真(写メ)たちである。

そういえば当時の家の近くに駄菓子屋ゲーム博物館という場所があることをふと知ったので、一度遊びに行ったことがある。ここは昔ながらのメダルゲームがたくさん置いてあり、実際にゲームで当たったメダルや景品を駄菓子と交換することができる。大人も子供も10円玉を握りしめて遊ぶ姿は、とても良い光景だと懐かしく感じる空間でもあった。実際、5~600円もあれば結構遊べるので夏休みのちょっとした暇つぶしにちょうど良い場所かもしれない。

これがきっかけだったか忘れたが、趣味の温泉巡りで見つけたエレメカなどで遊ぶのも好きなので、見つけた際には必ず写真を撮ってから遊ぶようにしている。たまに廃棄されたであろうゲーム機を見つけると悲しくなるのだが、なるべくこういう文化は残していきたいと思ったのだ。ちなみに現在ではアーケードゲームとしての脱衣麻雀は昔のものを除けば、もうこの世に出てくることはないと思われる。

古いものが大事に扱われている一方、動かなくなたものを修理できる人も少なくなってきているのでこういうものは減る一方なのかもしれない。今でも新しい筐体は出ているが、そのほとんどがオンラインによるユーザー認証が入っていたり、場所を取ったり電力を食うものがほとんどなので、こういう旅館などに残り続けるのは難しいのかもしれない…

私はゲームが好きだ。アナログ、デジタル、エレメカ問わず。

またゲームセンターやゲームコーナーのような空間も特別感があり好きだ。

時代と共に取捨選択していくのは仕方のないことだが、いつか消えるゲームのこともどこかに記録として残しておきたい思っている。そういう意味では、昔作っていたFlashアプリなどはそのほとんどが残っていない。サーバーに残っていれば良いが、会社ごと消えてしまったゲームも山ほどあるだろう。なので今、遊んでいるゲームを精一杯遊んでおくことはとても大事に思う。

普段は外でゲームをしない人も、これを期にゲームセンターを眺めるだけでも結構楽しめるので、暇がある時はぜひ足を運んでみて欲しい。

ここまでお付き合い頂きありがとうございました。

思い出を振り返るゲーム備忘録はこれにて一旦締めさせて頂きます。

それではまたどこかで。

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